小さいとき大嫌いだった、三大食物。
ほんとに大嫌いだった。
見るだけで、おぇー、だった。
納豆は、まず我が家の食卓にもあまり乗らなかったし。
母と、二番目の兄と、妹は、たまに食べていたが(この三人は味覚が似ている)
父と、一番上の兄と、アタシは、断固として食べなかった(またこの三人は味覚が似ている)
だって!!腐ってるやん!すごいにおいやし!!
人間の食べるものじゃない!!!!!
三人の結束は固かった。
フツーに食べてる母達をみて、
「かーーーっ!!なんで好き好んで腐ってるもん食べるんや~。意味分からんわ、なぁ、ともちゃん!!」と言う父に、
「おう!!そうともさ!!」と同意していた。
アタシ達の『反納豆チーム』発足の日だった。
刺身。
「生」の「魚」 というのが、幼きアタシには耐えきれず、
おぇー、となっていた。
活け造り、とか見ていられなかった。
姿かたちがあり、魚の目が、目が・・・
こっちを見ている・・・・・!!!
見てるって!!絶対!!!!!
アタシは断固として食べなかった。
お寿司を食べる機会があっても、
自分のトロと、兄の玉子を交換したり、
いくらと新香巻き、ウニとカッパ巻きなど、交換していた。
ふぐ、てっさ、なんて聞いた日にゃあ、
死ぬで、あかんて、毒あるんやで、みんな死んでしまうで!!
と本気で心配し、心臓がバクバクいっていた・・・
プリン。
小さい頃、アタシはどちらかというと辛党だった。
親や親戚と喫茶店などに行って、妹や従姉妹たちが、
「チョコレートパフェ」
「ホットケーキ」
「プリンアラモード」
などを注文しているのを横目に、
ひとり「ホットドッグ」を注文し、
ウェイトレスのお姉さんが、「辛子はぬいたほうがいいですか?」と気を使ってちびっこのアタシに聞いてくれているにもかかわらず、
「ホットドッグから辛子ぬいてどーせーちゅうねん」
と言うキリッとした風情で、
「いえ、多めに入れてください」と指示したりなんかしていた。
そんな辛党で偏屈な子供のアタシだったが、
みんながあまりにも、プリン、プリン!というもんだから、
アタシもいっちょ食べたろやないかい、
と言う気分になった。なぜか上から目線だった。
そう、あれは、忘れもしない、プッチンプリン。
ある日、1個だけ、冷蔵庫に残っていた。
よし、食べてみよう、と思った。
それまで食べたことがなかった。
冷蔵庫に入ってたとしても、知らない間に兄や妹に食べられていたのだ。
でも、興味がなかったアタシは、全く気にしなかった。
で、1個残っていたプリン。
その日は確か風邪で学校を休んでいた。
はじめて食べてみた。
胃がムカムカした。
吐いてしまった。
気持ち悪くなり、げーげー吐いてしまった。
・・・・・
その日から15年ばかし、
アタシはプリンを一切口にしないことになる・・・・・
というかできなくなってしまった。
で、
22歳の春だった。
京都で一人暮らしをはじめ、しばらくたった頃、
みんながあまりにも、納豆うまい、うまい、と言いおいしそうに食べるので、
興味深々になり、ダメもとで1パック買ってみた。
忘れもしない「おかめ納豆」だった。
まぁ栄養もあるらしいし、もし食べられなくて捨てたとしても100円ぐらいのものだ。
ご飯を炊いて、グリグリかきまわした納豆をかけてみた。
一口、食べたあと、
思わず、
「うまいーーー!!!!!!!」
と言ってしまった。
納豆・・・・!!!納豆よ!!!!!
いえ、納豆さんよぉぉぉ!!!!!!!
あんた・・・あんた・・・・!!!偉いなぁ!!!!・・・こんなに安いのに!!!!
・・・しみじみ思った。
刺身は、
北海道に旅行した時に入った寿司屋で、「せっかくだから」と無理矢理食べさせられた。
が・・・・・・
ああああああ!(やっぱり)
こんなにうまかったのか!!刺身よ!!!
なぜなぜなぜ、幼い頃のアタシは、トロやいくらやウニを、玉子やカッパ巻きや新香巻きと交換してしまってたんだ!!!!!!
くくー!!!
悔しさが募った・・・
それぐらい衝撃のうまさだった・・・
プリンもだ・・・
当時、コンビニでいろいろなデザートが出はじめていて、
すごくおいしそうに見えたので、なんだか誘惑に負けてしまい、思いきって買ってみた。
・・・・・
案の定うまかった・・・(笑)
そのあと、あの憎きプッチンプリンも食べてみた。
・・・・・
名作だ、と思った。
うまいやないか!!!!!おいおいおい!!!
小さい頃、大大大嫌いだったものが、
なぜか22歳の春に、同時に食べれるようになった。
今では、どれも大大大好物だ。
3年ほど前、実家に帰った時に、
フツーの顔して納豆を食べてる父をみて笑いそうになってしまった。
チームはひっそりと解散した・・・・